いよいよ宮城で、桜が咲き始めました。
4月10日の今日は、旧暦で3月11日とのこと。
淡紅色の花びらたちを眺めていると、今年も春が訪れたことをしみじみ感じます。
あの日からも、1日1ニュースを140字にこめてTwitterにて発信することは、何とか今日まで続けることができましたが、日本に起こったこと、今なお起こっていることを考えない日はなく、なかなか多くを言葉にできない日々でした。
そのような私に、みじかい言葉で、たいせつなことを綴る機会が訪れました。
ボランティアで関わった宮城県石巻市で、震災後あらたに統合し開校することになった小学校の校歌の作詞をすることになったのでした。
当初は、石巻で生まれ育ったかたが書かれたほうがよいのでは、と思いました。
と同時に、作曲を引き受けたのは、Happy Tocoピアニスト・榊原光裕でした。
徐々に、私も、いただいたお気持ちに精一杯おこたえしたい、という思いをもつことができました。
まず、在校生やご父兄のかたがたに、歌詞に入れてほしい言葉をお出しいただきました。
すべてに目を通し、できるかぎり思いをくみとりたいと考えました。
ただ、「絆」だとか「希望」といった言葉ではなく、そうしたことがそっと伝わるような言葉を用いたり、具体的な地名一つ一つではなく、もうすこし大きな目で「世界」をとらえるような表現にしたいと考えました。
私がまず校歌に盛り込みたいと考えた内容は、
人間が対峙するには、自然の力は壮大なもので、ときとしてなにもかも奪い去っていくのも自然かもしれないが、恵みをもたらしてくれるのもまた自然である、ということ、
長い長い歴史の中では、人間が生きているのはいっときかもしれないが、いまここに生かされているのはたしかなことで、あなたがいて、私がいるのだ、ということ、
どんな時代にも、音楽があり、想像を絶するような過酷ななかでも、人々は歌い、光を見出してきたのだ、ということなどでした。
そして作詞と作曲を同時にお互いに進めるなかで歌ってみたりしながら、推敲を重ねました。
あたらしい学校は、橋浦小学校、相川小学校、吉浜小学校、という三校が一つになる、という学校でしたので、橋浦小学校の「橋」、相川小学校の「川」そして、吉浜小学校の校歌の一フレーズを入れることにしました。
震災をなまなましくあじわった子供たちがほとんど、という小学校の門出にあたって、「自分たちこそが、さまざまなことを乗り越えて、しっかりと考えて、しっかりと立って、しっかりと生きて、この学校の歴史を作っていくのだ」という自負のようなものを持ってもらいたい、という願いもこめました。
自然災害というのは、人間にとっては災害でも、自然の大きな営みのなかの出来事である、という面もあるかと思います。
人間の誕生や、もっというと山や川の誕生さえも、すべてが自然の営みのなかから出来たことで、そういうことも含めての“自然”であることをあらためて受け入れなければいけない、という思いもありました。
そして、そうした大きな災害でなくとも、人生には、理不尽にかんじることや、思いもよらない悲しいことが多々あるでしょう。
大きな喪失感、無力感などに、負けそうになっても、感情におしつぶされそうになっても、もしも校歌の一フレーズでも思い出してそれがほんのすこしでも気持ちの助けになるようなことがあったら、それ以上の喜びはない、という気持ちで書きました。
よろしければお聴きください。
作曲をした榊原光裕がイメージした、3校が一つになり未来へ広がる象徴としての、3つのパートが同じメロディを追いかけ歌うエコーのような響き、3番までの各最後の5度のハーモニーなど、あじわっていただければ幸いです。