たった今、明日トーク・セッションで登壇いただく、大森山動物園・小松守園長と、月刊『ソトコト』・指出一正編集長と、会食を終え、交わした対話に心満たされ、すでに胸がいっぱいです。
以下、会場でお配りするパンフレットに掲載したご挨拶文です。
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小さい頃、祖母 いちのと一緒に過ごす時間が長く、ときには祖母が ‘むじんこ’と呼んでいた、近所の方々とのお食事会にも参加していたためか、集まって食卓を囲むことの喜びや、それぞれの家々にそれぞれの料理があることの楽しさは、ずっと心にありました。
くわえて、通っていた日新小学校までの通学路に、酒蔵、味噌醤油や塩魚汁や寿司鰰の製造元が何軒もあり、それらはとても身近な文化でした。
杉玉も、見慣れたものでした。
そうした自分が一人暮らしをするようになったとき、自分の味覚は、新屋で育てられたことをつよく感じました。
そして、今ふたたび見直されている‘発酵’食を、好んでつねに口にしている自分にも気づきました。
個食、孤食、粉食などが課題提起される今の時代、たしかに誰もが忙しく、丁寧に出汁をひいたり、日頃から保存食をつくったり、ということは、限られた方にしか、叶わないことなのかもしれません。
それでもせめて、新屋の水の文化や食の文化を改めて一緒に学んだり共有したりする機会を持つことはできないか、という思いを、長らくあたたためていました。
何か今、新屋で出来ることがないか、という気持ちが高まっていたとき、宮城で震災を経験しました。まもなく、いわゆる被災地の問題として、‘失われていく誇り’、‘受け継がれない文化’、‘支え合う関係の薄さ’などが、声高に語られるようになりましたが、そうしたことを聞くたびに、けっして被災地だけの問題でもなければ、地方だけの問題でもない、と感じました。
そして、平成11年から、宮城・旧 宮崎町(現・加美町)で開催された「食の文化祭」のすばらしさなどを知っていたことは、私がささやかながらも行動をおこす、一つのきっかけになりました。
「食の文化祭」は、10歳代から90歳代までの方々が、ふだん食している料理を持ち寄り、展示されたものでしたが、なんと宮崎町1,500世帯のうち600世帯から、850品の「我が家の自慢料理」が集まったのでした。翌年からは、1000品をこえる料理が一堂に。地元の方々も、他地域から訪れた方々も、あらためて宮崎町の風土に培われた、食文化の豊かさに、はっとしたそうです。
また、平成14年には、宮城・旧 北上町(現・石巻市)で、「みやぎ食育の里づくり -北上町の食文化を次世代に-」として、生活文化を記録、継承される取り組みがなされました。旧 北上町は、新屋と同じように、川と山と海に囲まれた地域です。里山の山菜40種、きのこ30種、果実や木の実30種、海の魚介類や海草100種、川の淡水魚介類10種―。身の回りの自然は、食材の宝庫でもあったことと、おのずと地域のかたがたが身につけている食にまつわる技術はじつに多様であったことに、誰より地元の方々同士が感じとった、と聞いています。
そうした料理は、ふだんから一人一品大皿で持ち寄り「とりまわし」料理として楽しまれていたといいます。
その様子の写真を見ると、祖母と一緒にあじわった ‘むじんこ’ の楽しさがよみがえりました。
まさに同じ頃、世界でも同じような取り組みが展開されはじめていたのでした。
『隣人祭り La Fete des Voisins』は、1999年フランス、パリの小さなアパートでおきた高齢者の孤独死をきっかけに、住民たちが建物の中庭に集まり、交流のための食事会を行ったことから始まったとのこと。
『隣人祭り』発起人のアタナーズ・ペリファンさんは、「僕が『隣人祭り』を立ち上げたのは、孤独や引きこもり、無関心といったものに抵抗するためでした。地球の向こう側にいる見ず知らずの人たちとはネットで繋がろうとするのに、近くにいるお隣さんにはこんにちはと声もかけようとしない。なんともおかしな世の中に僕たちは住んでいます。」というメッセージを投げかけています。
ちなみに、『隣人祭り』日本支部は、「ソトコト」内におかれています。
私自身が、出来ることは、ほんの小さなことです。
しかし、一人また一人と、知恵とエネルギーを持ち寄れば、思いがけないことが出来るかもしれません。
今回は、小さいときから可愛がってくださった、地元の方々に協力をいただきながら、まずは一歩、踏み出そうという思いから開催する、「第ゼロ回」です。
まさにキックオフとして、トーク・セッションの場をセッティングしました。
新屋を語るときにかかせない「水」をテーマに、タイトルを『水と地球といきものと』として、大森山動物園・小松守園長と、月刊『ソトコト』・指出一正編集長をお招きしました。
すべてのいきものにとって、いのちの源は水。
そのテーマに関して、大変造詣の深いお二人にご登壇をお引き受けいただきましたこと、ほんとうに嬉しく思っております。
これから「アラヤード・ピクニック」がどのようなかたちに育っていくかは、みなさまにもかかっています!
もしもご賛同いただけるようでしたら、どうか、お力添えください。
よき時間が生まれていきます、始まりの日となりますことを願いつつ。
アラヤード・ピクニック実行委員 佐藤聡子
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今回は、トーク・セッションのまえに、ほんのすこし、前座として演奏することにいたしました。
「アラヤード・ピクニック」に賛同してくれた、小学校と中学校で一緒だった友人が、「アラヤード・ピクニック」開幕にあわせて、Happy Tocoへのエールをかねて、こんな素敵な文章を贈ってくれました。
感謝をこめて、ここで紹介します。
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Happy Tocoに出会う前、ヴァイオリンの音が苦手でした。女性の甲高い声のように聴こえ、落ち着かない気持ちになることが多かったのです。ところが、聡子さんのヴァイオリンは違いました。安らぐときもあれば、激しく魂を揺さぶられるときもあり、もっと聴いていたいと思う音色なのです。同じヴァイオリンなのに何が違うのか、不思議に思っていました。
そして、Happy Tocoの演奏を聴いているときに、はたと気付きました。
「今、草原にいて、風に吹かれている感じがする」
そこはもちろん草原ではなく、コンクリートに囲まれたビルの中にあるライブハウスでしたが。もしも目を閉じて、川のせせらぎや小鳥のさえずりが聞こえてきたら、大自然の中にいることをイメージするでしょう。そんな風に、Happy Tocoのメンバーが奏でる音のすべてが融合し、心の中の草原を私に呼び起こさせたのです。
思うに、聡子さんのヴァイオリンをはじめ、榊原さんのピアノも、岸川さんのドラムスも、単なる楽器の音を超えて、「大自然=地球」の音の一部になっているのではないでしょうか。だから、心地いい。だから、生命に訴えかけてくる。
Happy Tocoの演奏を聴いていると、草原だけでなく、曲によって都会の夜や異次元への入り口などさまざまな情景が浮かびます。そして、切なくなったり、楽しくなったり、さまざまな感情を喚起されます。音楽の力によって、自分の生命が掘り起こされるような気分です。
ここまで書いて思いました、音楽の素晴らしさを言葉で伝えるなんて私にはできないようです。ぜひ、Happy Tocoの演奏を聴いて、心の響きを感じてみてください。
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お話もお食事も音楽も、すべてあってのアラヤード・ピクニック♪
明日が、よき出発の日になりますように!