2011年8月12日金曜日

あの日から5か月―

長らくごぶさたいたしました。

あの日から、今日で5か月―季節は移ろい、暑い夏となりました。

あれから、事態が大きく動いたことも、あまり動いていないことも、
そして、すこし希望がみえたことも、まったくみえてこないことも……。


「何も終わっていないし、何も始まっていない」……そうつぶやいた
方がいました。

いまだ避難されている方や、さまざま失った方とお話していると、
あらゆる思いを封じ込めて明るい笑顔を見せてくださる方も
おられれば、悲痛を言葉にしてぶつけてくださる方もおられますが、
言葉にさえせずに、あるいはできずに、ひっそりとされている方も
多くおられることを感じます。


生きていく、ということは、そもそもほんとうに大変なことです……が、
この3月に起きたこと、そして原発の問題を含め今なお続いていることに
苦しめられている方々に、どうしたらもっと寄りそえるか、それを
考えない日はありません。
そしてなぜこれほどにも深刻な事態に陥ることになってしまったのか、
それも考えずにはいられません。

ずっと、より大切にすべきことがあったのに、それこそ大きなうねりに
飲みこまれ、小さな声はかき消されてきた―震災対策であれ、原発問題
であれ、調べれば調べるほど、同じことが根本に問題にあったように
感じられます。


一つしいて言うなれば、「こういうことが豊かさというものだ」という
価値観が、日本全体でもうすこし変わってもいいのではないか……
ということ、ひいては、止めるべきものと気づいたものを止めたり、
昔のように戻したりすることも、いまこそ必要な‘前進’なのでは
ないか……ということを感じています。

先日、「発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。
それは、人類をやめろ、というのと同じ」と、いささか乱暴な言説を
表明した作家がいましたが、それはだいぶ破綻した論理で、
これまでもそうであったように、科学により獲得した新たなる技術であれ、
それがよろしくないと判断されたときには、人間の知性や理性によって
放棄されたり、よりよい他の技術に置き換えられたりしていかなければ
ならないのではないでしょうか。
せめてそうでなければ、人間として、あまりにも驕った態度だと思うのです。


人間は、40億年前にこの地球上にあらわれた生命から進化してきている
とのこと。さまざまな生物が、進化し、戦ったり助け合ったり、食べ物を
供給し合い、豊かな自然をすみかとして、40億年もの間、生きてきた―
つまりは、一人の人間が100年生きたとしても、その4000万倍の間、
ずっと続いてきた地球の生命活動が、いま脅かされつつあるという事実……。

生命科学者、柳澤桂子さんによる一首が心に響く、2011年の夏です。

「生きるという 悲しいことを 我はする 草木も虫も 鳥もするなり」





2011年5月6日金曜日

3.11、その日から…

Blogでは、ごぶさたしてしまいました。
あまりのことに、どう綴ってよいのか…という思いで、1日1度Twitterにて短いメッセージをつぶやくのが精一杯でした。

直後からHappy Tocoメンバーを心配くださった国内外のみなさま、ほんとうに感謝申し上げます。
Happy Tocoメンバーは無事でした。が・・・。
書こうとすればきりがないほどで、さまざまな思いもつのりますが、宮城から離れたところにいらっしゃるかたがたにお伝えしたい思いもあり、あの日からのことをすこしばかり言葉にしてみたいと思います。


3月6日の‘Happy Toco春を待つコンサート’を無事終え、そのご報告をしながらBlogの更新をしようと思った矢先のことでした…。
たしかに予兆らしきものはありました…。3月9日、すこし大きな地震があり、ちょうど石巻N's-squareの遠藤さんからも「地震怖い・・・!」とメールが来ていました。

3月11日―その日は、仙台の自宅で、翌日のコンサートの準備にかかっていました。
たちまち大きな音と激しい揺れ。その時間はとても長く、音も揺れもどんどん強くなっていったようにさえ感じました。あたりの物が派手に音をたてて壊れたり崩れたりするなか、瞬時に、いったいどうなるのか、ここがこれほどならば、ほかのところはどうなってしまっているのか、といった思いがよぎりました。

揺れの途中で電気は途絶え、そして携帯電話も全く通じなくなりました。そのときはまだ、その先何日もガソリンが入手できなくなるとは知らずに、迷わず車を走らせ、身近な友人が無事なのか訪ねました。

季節外れの雪が舞いはじめ、まだもうすこし明るいはずの時間なのに、空は不気味なほどに薄暗くなりました。この世に、とんでもない天変地異が起きたのだと直感しました。


そして友人の車の小さな画面ですこしだけ見ることのできた沿岸部の映像に、それは現実のものと知りました。
街ごと流されている・・・。石巻の遠藤さんは、当麻さんは、田沼さんは、友枝さんは、郁子さんは・・・、名取の幕田さんは、小沢さんは、太田さんは、文子さんは・・・、多賀城の岡部さんは、村口さんは、渡部さんは、菅原さんは、小野寺さんは・・・、南三陸の林さんは、西條さんは・・・、塩釜の小幡さんは・・・。そして音楽仲間や、通い慣れたお気に入りのお店は・・・。

知人・友人にかぎらず、どなたの命でも犠牲になることは辛いことですが、大切な友人たちの笑顔がたくさん目に浮かびました。
生きていればいつかまた会える、と動じないほどには強くもなく、連絡がとれない間中、気が気でない日が続きました。

それは、県外の友人たちにとっては仙台の私どものことも同じだったようで、夜中に一瞬だけ電波が入ったとき、何十通ものメールが届いていたことを知ったときには驚きました。そして、ほんとうにありがたく思いました。


地震から2日目、3日目は、5月のような陽気でしたが、かと思うと、それからの数日は、1月の真冬のような天気に逆戻り。春はもうすぐそこに、と思っていたのに、身も心も凍るようでした。

しんしんと降り続く大雪のなか、開く気配もないお店にでも何百人もの行列ができていたり、ロープが張られたガソリンスタンドにさえ車が何百台と並んだり、という日が続きました。
一刻も早く、探しに行きたい、助けに行きたい、といった切実な思いが、焦燥感ともなりました。

それでも、何かを求めて何時間も待っていると、はじめてのかたとでも自然とおしゃべりが始まり、静かに疲弊していた心がすこし慰められたりもしました。お互いの不安を分かち合ったり、生き残った者としてライフラインの止まった生活の工夫を出し合ったり・・・。
お互いに、譲り合ったり、助け合ったり・・・支え合っているということを実感しました。



徐々に情報が入ってくればくるほど、事態の大きさが分かりました。
知人がご遺体で見つかってもご葬儀もできず・・・。津波にのまれていったときのことを語る友人たちの話は、胸が張り裂けそうなものでした。


そうした悲しみが心を占めつつも、物資を届けるために石巻などに通うようになると、すこしずつあることを感じました。まさに「無常」。すべては、とどまることなく常に変移している・・・よいこともそうであるように、悪いことも、ずっと同じ状態は続かない、ということ。

絶望してすべてが止まってしまったように感じるときでも、のちに、じつはすこしずつ変化はしていたのだと気づくときが来る― 生きるために人間にもともと備わっている力のようなものをつよく感じました。


4月に入ると、Happy Tocoの演奏をまた聴きたい、といったお声を、深刻な被災地からもいただくようになりました。こちらが救われる思いでした。
おそらくは、原始から人間は音楽で仲間との団結をつよめたり、心を奮い立たせたりしてきたことでしょうけれど、しかし、いまの状況にあって、押しつけになったり、すこしでも不快にさせるものになったりしてはけっしてならないと考えていただけに、求めるお声をいただいたことは一つの大きなきっかけになりました。

それからは、具体的に一つ一つ目標をもって動き出しました。ちょうど、ガソリンなどもすこしずつ入手しやすくなっていました。高速バスの席もとれるようになってきていました。被災地に演奏を届けるだけでなく、楽器を贈ることもできないか― 楽器生産の世界的中心地の一つである浜松にも打ち合わせに行きました。


そのつづきは、つぎのBlogでお伝えしたいと思います。


いまなお、家族が見つからない知人、体育館での生活がいつまで続くか分からない友人、水や電気が止まったままのなかで暮らしている友人がいます。

そして、地震と津波という天災にくわえて、原発の制御不能という人災まで起こり、あるまじき事態が続いています。福島のかたがたは、どれほどの理不尽さに耐えておられることか・・・。

仙台でさえ外出を控えるように通達されたとき、まだまだ緊急支援が必要なときでした。引き裂かれる思いをしたかたがた、そこで命を落とされたかたがたを思うと、天災にたいしてはいだかない感情がわいてきます。天災にはあらがえないという諦めをもつことができますが、人災はとうてい・・・。

かねてから、これほどに‘豊かさ’の意味するところが、それぞれに違うものなのだろうかと嘆きたくなるほどに、日本のさまざまに疑問をもっていた私としては、自然さえをも‘想定’しえると驕った人々が、優先すべきことを誤って引き起こした、恐ろしい人災だと思っています。もはや生き地獄だ、とつぶやいた友人の言葉は、実感だと思いました。
私たちの命をはぐくむ、土、水、風・・・そうしたものが、人災によって汚されていく、その事の大きさについて、もっと多くのかたたちと話し合い、進むべき道をともに考えたい、そう思う日々です。

2011年2月28日月曜日

春がすぐそこに♪

みなさま、こんばんは♪
2月も今日でおしまい・・・みなさまはいかがお過ごしでしたか?
日中は、陽射しにすっかり春を感じるようになってきましたね。

さて、私たちHappy Tocoは、昨日2月27日、秋田県にかほ市にて
ライヴをしてきました。JR仁賀保駅から徒歩2分の場所にある
「Jazz & Cafe RELAXIN’」が会場でした。


にかほ市は、秋田県のなかで最南西端に位置しています。
前日、小坂町で演奏の仕事があり、朝に移動したのですが、
小坂町は秋田県のなかで最北東端!
秋田県は広いな大きいな、の旅でした。

そして私たちにとって、にかほ市は初めての地。
お客様が集まってくださるか、不安でした。
でも今回も会場のお席いっぱいにお客様にお越しいただきました。
うれしいかぎりでした♪
ライヴが終わってからお客様とお話をしましたら、
にかほ市に隣接する山形県の遊佐町や酒田市からも
おいでくださっていたのでした。
今年は、山形県にもおじゃましたいと思っております。

ところで♪
じつはHappy Toco、2011年1月の東京公演から、
ウッドベースに佐藤弘基さんをお迎えしました。
1stCDは、あくまで初代メンバーによる作品ですので
ウェブサイトでは、まだ前任者のご紹介をさせていただいて
おりますが、近日中に弘基さんのご紹介も掲載したいと
準備しているところです。

弘基さんのベースには、一音一音に歌がある、と
言いましょうか、豊かな音楽性があります。
そして、演奏しているお顔が、とっても楽しそう♪
ご本人いわく、「演奏している音は静かなのに、
演奏している顔がうるさい、と言われることがあります」
とのことですが(笑)、弘基さんの存在がHappy Tocoを
いっそうHappyにしてくださっていると感じる今日この頃
です。
お客様にそのHappyが伝わりますように、届けられますように♪

3月6日、題して「春を待つコンサート」をHappy Tocoの
ホーム・グラウンド Jazz Me Blues -nola- での2011年最初の
ライヴとして開催します。
メンバー一同、みなさまのお越しをお待ちしております。

2011年2月3日木曜日

旧暦元旦♪

みなさま、こんにちは!
今日は、節分、そして旧暦では新年1月1日ですね。

あらためて気持ちも新たに、まさに新月が満月にむかって
すこしずつふくらんでいくように、今年の願いがかならずや
実っていくよう、日々を過ごしていきたいものですね♪


さて、12月のライヴのご報告も、第2弾がまだでした!
1月の東京公演も無事終えてきましたので、あわせて
振り返ってみたいと思います。


12月のHappy Tocoは毎週ライヴ!で、3週目の日曜19日は、
宮城県の加美町にあるレストラン‘Genjiro’にて開催しました。

Happy Tocoフライヤー写真やプロモーションビデオの撮影地
でもある‘Genjiro’は、もはや私たちにとって心の拠りどころの
一つとなっています。

クリスマスナンバーをおりまぜたプログラムでステージをし、
休憩の時間には‘Genjiro’オーナーの遠藤みどりさんから、
シェパーズパイやチキンのオーブン焼きなどがワンプレートと
してお客様お一人ずつに提供されました!

2公演しましたが、夜の部では、中庭にキャンドルが並べられ
それはそれは美しい光景でした。
そして、この日は暖炉の火がいっそう‘Genjiro’の時間をとくべつ
にしてくれていました。


この日、とってもうれしかったことの一つは、以前に‘Genjiro’の
スタッフのみなさんにプレゼントしていたブラウスを、めいめいに
アレンジして着こなしてくださっていたこと。お一人は、
お袖だった部分をアームカバーにされていました♪


なんて素敵なんでしょう!器用でいらっしゃるだけでなく、あらゆる
ものを手作りされ、その時間を豊かに過ごしていらっしゃる、みどりさん
はじめ‘Genjiro’のみなさんは、いつもはっとさせてくださいます。

‘Genjiro’は1月から3月の間、雪にすっぽりと覆われるそうで
お店もお休みをされるとのこと。その時間も、たくさんの手仕事をされている
のだろうと思います。また芽吹きの季節にはHappy Tocoでまっさきに訪れたい
と願っております。



そして最後の週は、仕事納めの29日に、ホームグラウンドとなっている
‘Jazz Me Blues Nola'にてのライヴ。2010年Happy Tocoライヴのたびに
お客様に書いていただいていたリクエスト曲におこたえするプログラム
にしました。

Happy Tocoライヴは、1日に2公演することが多いので、すこしずつプログラム
を変えることもしばしばです。またそれぞれのお客様の全体の雰囲気によっても
ステージが変わってきます♪ それがまた、演奏する者にとっての楽しみ
でもあります。
1月21日の東京公演も、まさにそうでした。
今回の会場となった、阿佐ヶ谷Next Sundayに、夕方の部&夜の部とも
キャパシティいっぱいにお客様が集まってくださいましたが、それぞれの
お客様の醸す雰囲気があり、それぞれの熱気がありました!
Happy Tocoの新しいスタートとなった東京公演が、大きな手ごたえを
感じることのできるライヴとなったことは、ほんとうにありがたいこと
でした。歓喜のなか、メンバーと祝杯をあげることができました。


いよいよ今週からは、2nd CDのミックスにも入ります。Happy Tocoの
2011年、本格始動です。
今日の夜は、「鬼は外、福は内」と、邪鬼をはらうことにいたしましょう♪
そして、南南東を向いて、恵方巻きをいただくことにいたしましょうか。

2011年1月15日土曜日

謹賀新年♪

みなさま、遅ればせながら、あけましておめでとうございます!
大雪のニュースが続いていますが、お元気でいらっしゃいますか。

さて、昨年はおかげさまでHappy Tocoにとって
大きな実りの1年でした♪
今年はさらに飛躍の1年となるよう、挑戦をしていきたい
と思っておりますので、いっそうの応援をどうぞよろしく
お願いいたします!

多忙にまぎれ、Blogの更新も気になりながらも、すっかり
ご無沙汰してしまいました。
昨年12月のLiveを一挙に振り返ってご報告申し上げたい
と思います♪

12月は毎週各地でLiveをさせていただきました。

最初の日曜日、5日には、会津若松を訪れました。
「太郎焼総本舗」という大判焼き屋さんの2階がLive会場
でした。
知人に紹介いただき、まず会場の下見にお邪魔したときに
は、驚きました。というのも、1階はガラス越しに大通りからも
見える厨房とカウンターと、あとはすこしお席があるという
つくりなのですが、テーブル席もあるという2階にあがって
みると・・・なんとグランドピアノがあったのです。
もう榊原さんも喜んで、ほかの候補のお店を視察する
まえに、「ここでLiveにしよう!」と決めてしまったほど
でした。
そして当日、冬の会津は寒いと多くの方に言われていたの
ですが、日差がさんさんと降りそそぐぽかぽか陽気。
午後と夕方の2公演しましたが、どちらも地元のお客様で
びっしりになりました。

Liveが終わってから、事務局にお電話をくださって、
感動を伝えてくださるお客様までいらっしゃいました! 
こちらこそ感動でした♪

後日、会津若松が大雪で車が何百台と立ち往生、と
いうニュースを見たときには、やはり会津の冬は
本来厳しいものなのだと思いました。
一方で、そうしたなかでこそ、生まれてきたものもある
のだろうと、会津を歩いて感じたことを思い返しました。


そして、つぎの日曜日、12日には、由利本荘を訪れ
ました。秋田市ではすでに何度かHappy Tocoライヴを
しておりましたが、秋田県内のほかの地では、初の
開催となりました。
会場は、‘由利正宗’、‘雪の茅舎’などの名酒でよく
知られる「齋彌酒造」の蔵の一棟、「角太倶楽部」。
こちらは、もともと米蔵だったそうで、その歴史を感じ
させる跡がさまざまありました。

そもそも、明治35年(1902年)に齋藤彌太郎氏により
創業された「齋彌酒造」は、蔵はもちろん店舗や住居に
至るまで、当時のまま残され、じつに11棟が国の
登録有形文化財に登録されています。
http://yukinobousha.jp/
そのような趣のある空間で、Liveをさせていただけた
ことを、ほんとうにうれしく思いました。

齋彌酒造の齋藤さんはじめ、地元のおおくのかたの
お力添えをいただいて、あたたかなLiveとなりました。

思いがけなく、大学時代親しくしていた後輩も、
お子さんを連れて駆けつけてくれました。まさに
由利本荘にご実家がある彼女は、いまじっくりと
子育てをしながら、彼女らしい人生を歩んでいるの
でした。
なんと、Liveの日がちょうど一緒に来てくれたお子さん
の5歳のお誕生日!とのことで、トークのなかでご紹介
し、そして私たちからささやかな音楽のプレゼントを
しました♪ 会場のみなさんからもたくさんの拍手を
うけて、5歳になったばかりのかわいい彼は
はじきれんばかりの笑顔を見せてくれました。
あふれるほどの愛情を受けて育っていることが
よくわかりました。
Liveで各地をまわるなかで、新しい出逢いがある
ことももちろん嬉しいですが、こうして旧交をあたためる
機会もいただいていること、ほんとうにありがたいと
感じます。
(彼女のBlogでHappy Tocoを紹介くださっている文章
がとても素敵です。
http://chocolatete.blog133.fc2.com/blog-date-20101212.html
http://chocolatete.blog133.fc2.com/blog-date-201007-1.html )


連続して13日月曜日には、大館にお邪魔しました。
Live会場は、1974年のオープン以来、日本国内外のジャズ
ファンから愛されてきた老舗ジャズ喫茶「ミントン・ハウス」
でした。
マスターの佐東さんが、Happy TocoのCDを聴いて、
気に入ってくださっていたということで、開催の運びに
なりました。
これまで、渡辺貞夫、鈴木勲、日野元彦など、いわゆる
‘ビッグネーム’のかたがたのコンサートもあまた開催
してこられたミントン・ハウスには、耳の肥えた常連さん
もたくさんいらっしゃり、今回も佐東さんがごく一部の
常連さんにお声掛けしただけで、すぐに満席になった
とのことでした。ふだんの椅子の状態では入りきらず
佐東さんがいつも立っていらっしゃるカウンターの内側
にまで、椅子が並べられ、びっしり埋まった光景には、
びっくり!でした。

私たちがレコーディングした河内スタヂオの河内さん
も、ミントン・ハウスには高校時代から通っていた
そうです。
打ち上げまですべてセッティングしてくださって、
お手製のおいしいお鍋料理をご馳走くださり、
また私たちの音楽についても深い理解をくださり
さまざまなお言葉をくださった佐東さんには、
感謝の気持ちでいっぱいになりました。

画家としても活躍されている佐東さんが
帰り際に、これまたお手製のクリスマスカード
をプレゼントしてくださいました。
大切な宝物がまた一つふえました。


すっかり長くなってしまいました、第1弾として
まずはここまでにし、つづきをまた後ほど
綴りたいと思います♪

みなさまにとって、2011年がかけがえのない
すばらしい1年となりますように!